参加方法: 会員には前日までにメールでミーティングIDとパスコードをお送りします。 非会員で参加を希望される方は、お名前とご所属を明記し参加希望のメールを事務局MichioTajima(at)SES-online.jp (注:@を(at)に書き換えてあります)までお送りください。ミーティングIDとパスコードをお伝えします。 参加者は「聴講者向けZoomマニュアル」(上記リンク参照)をご参照いただき、開催時間にお伝えしたミーティングIDとパスコードでご参加ください。(マニュアルは大学教育研究フォーラムが作成したものを許可を得て使用させて頂きました。) ご不明なことがございましたら事務局までメールでお問い合わせください。 |
開会挨拶 (3:00−)
英米文化学会会長 君塚淳一 (茨城大学) 研究発表 1. ネオ・ノワールとしての『ダーティハリー』:グローバル・ノワールの視点から (3:10−3:50) 発表 大勝裕史(千葉商科大学) 司会 君塚淳一(茨城大学) 2. ペックとボールドウィンの抵抗の戦略:I Am Not Your Negro と Exterminate All the Brutes について (4:00−4:40) 発表 宗形賢二(日本大学特任教授) 司会 河内裕二(尚美学園大学) 閉会挨拶 (4:40−) 英米文化学会副会長・事務局長 田嶋倫雄 (日本大学) 総会 (4:45−) 研究発表抄録 1. ネオ・ノワールとしての『ダーティハリー』:グローバル・ノワールの視点から 大勝裕史(千葉商科大学) 1940年代に現れたフィルム・ノワールは、1950年代後期に収束した後、1960年代末に復活する。本発表ではネオ・ノワール作品『ダーティハリー』(Dirty Harry, 1971)におけるノワールの捻れた系譜性を、グローバル・ノワールの観点から解明する。ノワールの文学的な源流であるハードボイルド探偵小説は、探偵を犯罪者と警察の間で立ち回る「中間の存在」として描いた。ノワールの休眠期に、中間者の役割を保存したのが、日本の侍映画『用心棒』(Yojimbo, 1961)とその非公式のリメイクであるイタリアの西部劇『荒野の用心棒』(A Fistful of Dollars, 1964)だった。『ダーティハリー』は、後者で対立陣営の間で立ち回る用心棒を演じたクリント・イーストウッドを、違法な捜査で(最終的には警察組織を離脱して)犯人を追跡するグレーゾーンの刑事として起用している。 2. ペックとボールドウィンの抵抗の戦略:I Am Not Your Negro と Exterminate All the Brutes について 宗形賢二(日本大学特任教授) 本発表では、Raoul Peck(1953年−)の 『私はあなたのニグロではない』(I Am Not Your Negro, 2016)および『すべての野蛮人を根絶せよ』(Exterminate All the Brutes, 2021)について、ラウル・ペックのインタヴューを基に、作品編集を中心とした表現方法について検討する。前者は、James Baldwinの未完の原稿をペックが編集し、人種差別をボールドウィンの視点からドキュメンタリー映画として制作したものである。後者は、Joseph ConradのHeart of Darkness (1899)中の言葉を、Sven Lindqvistが1992年に出版した「学際的文学」の題名に使い、それを下敷きにペックが映像化した作品である。ペックが示す西洋の人種差別の根源はタイトルの『すべての野蛮人を根絶せよ』に尽きる。植民地主義と白人至上主義の歴史を映像作品で解体するための手法は、伝統的なドキュメンタリー形式の破壊である。過去と現在、文明と野蛮、美と醜などを一見脈絡なく並置し、視聴者に謎と緊張を強いることで、西洋文明に飼い慣らされた合理的感覚を壊し、「チタリングズ」のような混沌とした世界を作り出した。既成の西洋(白人)文化の映像の歴史に組み込まれない、いわば映像による「抵抗のコラージュ」であると考える。 ※1.2.ともに発表者から提出された原稿をそのまま掲載しております。ご了承ください。(広報(IT)担当理事) |